◎ pigeon ◎
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その男はグリフィンドールの寮章をつけたローブを纏っていた。


バレンタインの夕方。
地下牢教室で寛ぐ自分の前に湧いたように現れ、食べようと手にしていたチョコをこちらの指ごと銜えた。

何が起きたのか認識できなかった。

ただ、親指と人差し指と中指に触った口内の感触が妙に熱く柔らかで湿っていたのを感じた。

そのときはじめて知った。

人の舌というものは動物、例えば牛などと全然違う。生体の臓器は想像していたよりも滑らかな感触をしている。

ちらりと、そいつはこちらをみた。

切れ長の目、長い睫毛に縁取られた黒水晶の瞳が悪戯っ子のように細められ、指を口に含んだままそいつは笑った。

我に返った。

いきなり現れた得体の知れない男に手首を掴まれ指を銜えられている。

ちかん。

捕らえられていないほうの手で握りこぶしを作った。

ちかんだ。

この私に痴漢しようと企てるなどいい度胸だ。
そしてなんという無礼だ!
無礼者にはこうしてやる―
スネイプはこぶしを振り上げかけた。

「すみません……あんまりおいしそうだったので我慢できなくて……」
目を伏せ男は謝り、どこからともなく取り出した包みをこちらの握ったこぶしの隙間にねじ込むようにして押し付けた。
「お詫びのしるしです。受け取ってください」
「突然現れた得体の知れない男の貢物など、いらん」
声に冷気をのせ言い放つ。

突然現れた得体の知れない男の貢物など、危なくて受けとれるものか!
どんな呪いがかかっているか、どんな薬が仕込んであるか分かったものではない。

相手はグリフィンドールだ。

何かにつけて私を見張るいやな奴、人心を操り己を称賛させるために傘下に加え操るゆがんだ才能の持ち主、天才的な猫かぶりゆえに先生方にもその尻尾を掴ませない悪魔のような男、ジェームズ・ポッターの所属する寮の者だ。

目の前のこいつがポッターの差し金でないと言い切れる保証はない。

お前の振る舞いが私を不愉快にしたんだと気迫を込めて睨み付けた。大抵の者はこうするとびくりと肩を震わせてすごすご退散する。
だが、男はこちらの腕をつかんだまま、目を伏せ、僅かに頬を染めた。

それは比較的見慣れた表情だった。

バレンタイン当日までの間、自分の前に立ちはだかり『チョコの交換をして下さい!』と震えながら叫んだ者たちに似ている。

なんだ……。

スネイプはこぶしを緩めた。

私のファン……か?

考えていると男は瞼を上げ、真っ直ぐこちらを見た。
黒い瞳に春の陽の木漏れ日のようなまろやかな光を浮かべ、にっこり笑う。

「突然申し出てもあなたはチョコの交換をしてくださらなかったと思いまして……」

ありえないことではない。

準備をしたのに当日照れが勝り肝心のチョコを渡せなかった。
そういう思い出はスネイプにもあった。
でもどうしてもあきらめ切れず放課後追いかけてきてたまたま私が最後の一つを食べるのを目撃し、ついチョコを奪ってしまった……。

まったくもってありえないハナシではない。

スネイプは納得した。

自分の前に現れる無礼な振る舞いをするものは気持ちに余裕のないものが多い。
憧れの自分の前にでて緊張し切ってしまっているのか、言いたいこと位まとめてから再び来いと告げたくなるものが多い。

想像していたよりもまともな言い分にスネイプは思わず訊ねた。

「?交換したかったのか」
「はい」
男は口角を大きく持ち上げた。

穏やかな瞳。
よく見れば背はすらりと高く、ローブの上からでも分かる無駄のない締まった体つきをしている。
くしゃくしゃと、あちらこちらに強くくせ付いた髪はぬばたま色。黒い髪に浮かぶ鋭い光沢から硬めの髪質と推測出来た。
髪と同じ暗色の瞳に浮かぶ光は穏やかで理知的な感じがした。
切れ長の目は心持ち下がり気味でなんとも言えない愛嬌があり、人の良さが滲み出ている。

同じ黒い髪、黒い瞳でも、あの悪魔や喧嘩っ早いシリウス・ブラックから受けるのとはまったく違う印象。

何より目が惹きつけられたのは顔つきだった。

とてもやさしい、整った美しい顔立ちをしていた。

だが、こいつはグリフィンドールだ……。

でも、こんなに澄んだ、綺麗な瞳の持ち主が悪巧みなどに加担するだろうか……?

考え込んでいると、男は再び微笑み、こちらの拳を開かせ手のひらに包みを置いた。そうして覆うようにして自分の手でこちらの指を閉じさせた。
白いハンカチで湿ったこちらの指を拭くと、何事もなかったかの様に歩き出した。

僕のことはルーピンが保証してくれます。

名乗りもしなかった。
ただ、グリフィンドールのリーマス・J・ルーピンの友人とだけ言って消えた。
よく考えれば見覚えのある奴の顔は、バレンタインの数ヶ月前、グリフィンドール寮の前でリーマス・J・ルーピンに託を頼んだ輩だった。

季節外れの新入生。

身元は知れた。

ルーピンの友達だというなら大丈夫だろう。
それに―。
それにと、スネイプは微笑む。

年に一度のバレンタインだ。
名前も知らない奴だが、あの整った、穏やかな顔つきの奴となら、チョコレートの交換をしてもいい。
もう、自分のチョコは彼の腹に入ってしまったことだし今更返せといってもどうにもならない。

包みを開いて驚いた。
現れたのは手のひらほどの大きさのコインチョコ。
バレンタイン限定アーガス商会のミドルチョコ。
予約をしても滅多に手にはいらない激レアもの……。
一枚十ガリオンもする高級品だ。
別名誓いのチョコレートと呼ばれるそれは婚約のお祝いなどにも使われた。

バレンタインにこんなものを私に贈るなんて。

「ひょっとして奴は私に気あるのか……」

呟くスネイプの声は、隠しようのない緊張が漲っていた。

過去、軽い気持ちで貰ったお菓子にそういう意味があるのを知らず、夜中に寝室に忍び込まれ悪戯されそうになったことがあった。
もちろん二度とその気が起きないように丁重におもてなしをしてお引取り願ったが、その時の不愉快な気持ちがよみがえりスネイプは背筋にいやな汗が伝うのを感じた。

これは、大変だ。
どういうつもりか知らないが、もし、そういうつもりだったら事だ。
あの男と同じ寮の奴に、部屋に忍び込まれるなど、考えただけで鳥肌が立つ。

スネイプはチョコをしまい慌ててグリフィンドール寮に向かった。

バレンタインということもあり、校内はあちこちでお祭り騒ぎ甘々ムードが漂っている。
動く階段を二段飛ばしで上がり、太ったレディの前にたどりつく。
グリフィンドールに友達はいない。
当然合言葉など知る由もない。
人通りがないとは言え、こんなところに立っていると、いちゃモンをつけられる。壁の模様、彫刻の隙間にちょうどひと一人入れる窪みがあったので、スネイプはそこに立った。
半分隠れ半分現れているような状態。
気をつけてみれば人が立っているのが分かる―その程度の出方だった。

五分、十分、十五分経ったが誰も通らない。

こういうとき、リーマス・J・ルーピンが通りかかってくれれば好都合だが……。

だが誰も通りからない。
いや、一度あのポッターが現れたが、スネイプは息を殺してやり過ごした。
ポッターは何か腑に落ちないという顔をしながら周囲を見渡し、首を傾げ寮内へ消えた。

あんな奴にものを訊ねる位ならシリウス・ブラックに頭を下げて訊いたほうがまだましだっっ。



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