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「くしゅんっ」
スネイプの去った直後、ショーは小さくくしゃみをした。
風邪が悪化してきているようだ。鼻をすすりながらショーは思った。
「ほんとうに、あれさえなければ中々いい生徒なんだけどな……」
ため息とともにショーは本音を漏らす。

セブルス・スネイプは大変熱心に授業を受けてくれる。
同寮のスリザリンの面倒はよく見るし、グリフィンドールに限ってだが自分で課題をこなさない不届き者の不穏な動きを知らせてもくれる。
学科により波は激しいが、総合的に見た限りではとても成績優秀な生徒だ。
魔法薬学に限って言えばグリフィンドールのジェームズ・ポッターともども、授業中助手を頼んでも良いくらいだ。
だが、そうするには彼の行動にすこーしばかり問題があった。
スネイプは思い込みが激しすぎるところがある。
数々の長所がたった一つその短所のために霞んでしまっている。
ショーは思う。
好意を抱かれたなら、好意を返すのがモットーだが下手に君のためだと忠告して『自分は魔法薬学の先生に特別贔屓されている』などと誤解でもされたら……頭の痛い問題だった。
彼が自分に憧れ、喋り方やらファッションやらを手本にしているらしいとの噂は耳に入っていた。
でも、スネイプのお辞儀の仕方や喋り方は絶対に自分を真似してのことじゃない!
私はあんな芝居がかった、気取った喋り方はしていない。
劇中の登場人物みたいな大げさな動作もだ!
心の中で叫ぶとショーはもう一つため息をついた。
スネイプのその奇異にも見える振る舞いさえなければ、彼は目の敵にしているがジェームズ・ポッターのような ― ジェームズ・ポッターとシリウス・ブラック、リーマス・J・ルーピン、ピーター・ペティグリューのようなお互いを研磨しあえるような友達もできると思うんだが……。
「ふう、困ったものだ」
小さい声で呟きながらショーは顔を上げ教室の隅を見やる。

もう一人の居残り生徒の姿が見えない。

いつもグリフィンドール生が陣取る壁際の席に目をやると火にかける前の鍋が薪の上に据えてあった。サイドテーブルには刻み終わった魔法薬の材料がちゃんと一揃い載っている。

リーマス・J・ルーピンは、課題を途中で放り投げて帰るような不届きな生徒ではなかったはずだ。

「リーマス・J・ルーピン」
声をかけながらショーは近づいてゆく。
ヒョコと、青白い顔をした生徒が一人、机の下から出てきた。
「そんなところで何をしているのかね?」
「床に薬草を落としてしまって、拾っていました」
ずり落ちる眼鏡を直しながら生徒、リーマス・J・ルーピンが答えた。
長い直毛を背後で一束の三つに編み、引きずるほど裾の長いローブを着ている。肩口や胴回りを繕った跡が彼の華奢さを一層強調している。
ルーピンは顔にほつれ落ちる髪を耳にかけ、気をつけの姿勢をした。
「立ち上がろうとして眩暈がしてそのまま……すみません先生、材料は刻み終わったのですが、まだ課題を終えていません」
地下牢教室に差し込むかすかな光でグリフィンドール生リーマス・J・ルーピンの鳶色の髪が金と銀を混ぜたような光沢を放っている。
校医のマダム・ポンフリーが言っていた。
リーマス・J・ルーピンは体調が髪の色に表れる。
ちょうど今のような時は寝込む寸前に具合の悪いときだと。
「そうか……」
今夜は満月だ……。
この子にとってはしんどい夜だ。
「課題を終えていないのはまことに残念なことだ。引き続き残って仕上げたまえ……と言いたいところだが今日は私も体調が悪い……寒い教室に君を一人残して課題をさせるのはまことに持って覚束ないことだ……縮み薬についてのレポートを羊皮紙一巻き分書きたまえ、提出は月曜日。実習の方は……次回の課題と共に授業中にまとめてやってもらおう」
ルーピンははいと短く答える。
「後片付けはいい。私がやっておくから、君はもう帰りなさい」
「すみません」
ぺこっと頭を下げる。
いつ見ても礼儀正しい、好感の持てる生徒だ。
我知らず微笑むショーの目の前でルーピンは荷物をまとめはじめる。よほど急いでいると見え、鞄から羽ペンやら羊皮紙やらがはみ出してもお構いなしだ。膨らむ鞄に無理やり留め金を掛けルーピンは先生さようならと丁寧な挨拶をする。
「そうそう、ルーピン君」
出口に行きかけたルーピンを呼びとめショーは紙袋を差し出した。
ルーピンはきょとんとした顔で交互にショーと紙袋の間に視線を滑らせる。
「これは私が作ったお菓子で『幸福の飴』という。舐めると少しだけ幸せな気持ちになる……予定なんだが、良かったら試食をして感想を聞かせてくれたまえ」


ルビウス・ショーが、趣味で『新しいお菓子作り』をしているとは知らなかった。
美味しく出来たものはお菓子の発明コンテストに応募するという。
と、いうことは、きちんと食べてくわしい感想を返すのが義務だ。
あの先生は礼儀とか作法とかそういうところをとても大事にする人だ。
リーマスは畏まってキャンディーをもらった。
片手に鞄、片手に袋一杯のキャンディーを下げて一礼すると階段を一気に駆け上がる。

今日は満月。
夜は……行かなくちゃいけない。

その前にジェームズに、地下牢教室での出来事を知らせないと……。

駆け上がったはいいが、体がついてゆかず、ルーピンは階段を上がりきったところでへたりこんだ。
月が満ちると悪性の風邪の症状が出る。
眩暈、寒気、だるさ……、体の中が妙にむず痒くなるから風邪じゃないとわかる。けど、どっちにしても身動きが取れなくなる。
こうしている今も指先が冷たく痺れてきた。変な汗が全身から滲み出てきて視界が暗くなる。体に月の重さがのしかかってくるみたいだ。

どうして今日は満月なんだろう……、どうして僕は……。

考えそうになってルーピンは頭を振る。

今そんなことを考えても仕方がない。
それを考えるのは後でも出来る。でも知らせるのは今しか出来ない。今日を逃したら次ぎに会えるのは早くても五日後だ。
五日もあればスネイプがジェームズに何か仕掛けるには十分な時間……。

ルーピンは目を開けた。食堂のほうから食べ物の匂いが漂ってくる。くらくらする頭であたりを見回すと、外の光の具合から夕食前と予想がついた。
みんな食事をしに移動をはじめる頃。
ジェームズは、皆は、食堂と寮、どっちにいるだろう?
浅く早く呼吸を整えルーピンは立ち上がる。
ひざが震えて耳鳴りがする。立ちくらみが起きる。
ぎゅっと目を閉じ歯を食いしばる。堪えて無理やり目を開け、一歩歩みを進めると、目の前にシリウスがいた。
「……」
彼の顔を見た途端、足から力が抜けていった。
「ルーピン ― !」
慌てて駆け寄ってきたシリウスの、伸ばされた腕に抱きとめられる。

シリウス、迎えに来て、くれたんだ……。

「大丈夫か?」
本格的に始まっためまいと耳鳴りの中、ルーピンは我慢できず床に頭をついた。こみ上げてくる吐き気に口を押さえる。
「リーマス!」
シリウスの叫び声が耳の中で反響する。
しっかりしろとゆすられ、余計気持ちの悪くなったルーピンは切れ切れに呟いた。
「大丈夫……いつもの……だから……」
満月間近になると起きる……満月病だから……。
「……」
シリウスは無言でローブを脱ぐと、小刻みに震える自分に羽織らせてくれた。その上から擦ってくれる。以前に言った『満月病の症状が出た時は真夏の炎天下にいても寒い』という言葉を覚えていてくれたんだ……。
「大丈夫か?無理しなくていいから俺に寄りかかって……」
抱き起こすようにしてシリウスは自分を腕の中に収める。
ローブが擦り切れんばかりの勢いでシリウスはごしごしとさすり続けてくれる。
シリウスの体のぬくもりと摩擦熱で温まってきた。
まだ妙な強張りは残っているけど震えは治まってきた。

……あったかい。

彼の胸に頬を預け、ルーピンはふうっと一つ息を吐いた。
こうしていると、強張っていた体が自然にほぐれてくる。
何の心配も、恐怖も感じない。懐かしい、いや、恋しい暖かさだ。
もう自力で立ち上がるのは……ひどく骨の折れることに思えた。
瞼を開くのも苦しい。
ここはとても安心する。
今日が満月でなかったら……すっとこのままでいたい。
シリウスのお陰で吐き気は完全に、めまいは少し治まってきた。
「大丈夫か?」
「うん……」
「じゃあ、すぐマダム・ポンフリーのところに連れてってやるから……」
「……おねがい……」
言葉と同時に体が持ち上がる。
体に当たる感触から、お姫様抱っこで運ばれているのが分かった。
「ありがとう……ごめんね、迷惑かけて……」
「馬鹿だな……友達だろ」
友達……。シリウスの言葉にルーピンは我知らず微笑んでいた。
薄く目を開けると、目に入る光がずきんと染みた。
けれど、小鼻を膨らませ赤い顔のシリウスが見えたので少し可笑しくなった。
授業中にシリウスとの話に夢中になって薬作りに失敗し、自分一人が居残りを言い渡された……そのことにシリウスは責任を感じていた……。だから今も迎えに来てくれた……。
そう分析するとルーピンは、シリウスの首に片手を回し耳元に唇をよせた。
シリウスは歩みを止めた。
「ルー……リーマス?」
「シリウス、頼みがあるんだ」
ルーピンはそうっとシリウスに囁いた。
「何……だ?」
「でもその前に約束して、僕が戻ってくるまでは手を出さない……って……」
「?……スネイプがらみ……か?」
なんて勘のいい……。
ルーピンは心の中で舌打ちした。
「アイツ、また性懲りもなく俺たちに……ジェームズにいちゃもんつけようとしてるのか?」
「……」
勘のいいシリウスは言おうとしていることの見当がついたようだ。
彼の夜色の瞳が険しくなった。怒っている……。
自分を医務室に連れて行ったら、すぐさまスネイプを締め上げに行きかねない目の色だ。
「約束してくれる?」
シリウスの首に回した手に力を込めルーピンは彼の注意を自分の方に向かせた。
「シリウスがついてるからジェームズは大丈夫だと思うけど、そのために君が何かまずいことになったらと思うと、僕……心配で……」
「リーマス……そんなに俺のことを……」
「だって……」
そこで言葉を切って、ルーピンはじっとシリウスを見つめる。
そうするとシリウスはいつも恥ずかしそうに顔を背ける。
でも今はしなかった。自分はシリウスの首に腕を回し、シリウスは自分の体を抱き上げている。その距離では顔の逸らしようがなかった。
代わりにシリウスは目の下と頬を真っ赤にして見つめ返してくる。
ドッドッドッ ― ものすごい勢いで彼の胸が打っている。
「……」
シリウスがそんななので、ルーピンもつられて赤くなっていた。

彼の気持ちは薄々知っていたけど……。

「……」

こうあからさまにされたら……。

シリウスの胸の鼓動に引きずられて……目をそらせない。変なことを口走りそう。
でも今はシリウスの気持ちに引きずられている時じゃない。
頭の奥のほうでもう一人の自分が、落ち着け、考えろと呟いている。

ふっ ― シリウスの顔が近づいてくる。

と思ったときソレは終わっていた。
鳥が挨拶するように、かすかに唇が触れたような、そうでないような……。
「俺……」
シリウスが我に返った。真っ赤な顔から血の気が失せる。
そして再びぱーーと耳まで赤くなった。
俺は今何をした?その表情は言っていた。
「約束してくれるよね?」
ルーピンは何事もなかったように訊ねた。
彼には悪いけど、今はそういう話をしている時間がない。
もう間もなく日が入る。僕には時間がない。
「ああ……分かった約束する」
納得はいかないようだが、今日が何の日か思い当たった様で、シリウスも何事もなかったように答えた。少し寂しそうに目を伏せて。


医務室に行く道すがら、ルーピンは自分が目撃したことの一部始終を語り、ジェームズに忠告してくれるよう、そしてシリウスにはくれぐれもスネイプの挑発に乗らないよう頼んだ。

「ジェームズよりも、僕、君のことが心配なんだ」
「リーマス……そんなに俺のことを……」
いたく感動しシリウスは力強く言い放った。
「約束する。スネイプなんかの挑発には絶対乗らない。ジェームズも俺が守る!」
「……」
ルーピンの胸と唇に針で刺されたような鋭い痛みが走った。
「……ごめん……」
疲れたからといい、ルーピンは目を閉じる。
シリウスは自分を抱えなおすと、静かになるべく急いで歩き出した。
「……」
スネイプが何を企んでいるか分からない。
シリウスに、ジェームズへだけの伝言を頼んだら、友達思いの彼のことだ、必ずスネイプと衝突する。
それは傍から見ればシリウスがスネイプに一方的にケンカを吹っかけただけにしか見えない。
シリウスが先走ってスネイプを問い詰めたら、とてもややこしいことになる。
だから、そういう意味でジェームズよりも君が心配だと言った。

単純な観察の結果から出した忠告を愛情から出たものだと勘違いしてシリウスは喜んでいる。

自分を抱く手、歩調に明らかな愛情がこもっているのを感じる。

そんなに喜ばないでよ……。

ルーピンはいたたまれない気持ちになっていた。

シリウスは頭はいい。
でも自分の感情を退けて物事を考えるのが少し苦手だ。

自分が好意を寄せている人間全部が自分と同じような気持ちを返してくれるなんてこと、ないだろう?

なのに……。

喜びすぎだよ、シリウス……。

シリウスは懐に入れた人を信じすぎるところがある。
親切そうな顔をして近づいてきた奴が、実は単なる好奇心で寄ってきただけで、かき回すだけかき回してあとは高みの見物を洒落込む。
そんな些細な出来事はこのホグワーツの廊下、あちこちにだって落ちている。
もし、身内の裏切りや謀略にあったとき彼はどうするんだろう……。
どうなってしまうんだろう……。

「寒くないか?」
「うん……大丈夫……ありがとう」

スネイプ、ジェームズ、さっきのキスみたいなできごと、無邪気に喜ぶシリウス、そして、満月夜の自分。
「……」
全部がごちゃごちゃと頭を回ってルーピンは訳が分からなくなった。
でも一つだけ、自分の計算高さに嫌悪を覚えたのははっきり分かった。

シリウスに運んでもらいながら、ルーピンは、はじめて満月の日にはじめて早く医務室に着きたいと、本当にはじめて思った。


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