予感 
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「はあ……」
深い深いため息付いてジャン・ハボック少尉は白い花咲く木の下に腰掛ける。

殴られた頬が痛い。
日が落ちてからどの位経ったのだろう?。

今日は月のない夜だ。
月はなく、暖かい晩。ただ風だけは少し冷たくて、咲きはじめを思わせる木花の枝を揺らしている。

今日の園遊会に、同道を命じられとき、上司のロイ・マスタング大佐が、なにやら企んでいるようにうっすら笑ったから、嫌な予感はしていた。

だが、まさかセントラルの園遊会まで連れて行かれるとは、思わなかった。


ロイ・マスタング大佐は、国家錬金術師。そして、若くして異例の速さで大佐に昇進した切れ者。
若すぎる昇進が彼を妬む者に『ロイ・マスタングは体を張った』だの『錬金術の神に魂を売った』だの『利用できるものは何でも利用し役に立たなくなったらポイ捨てする』だの『六十歳以上の金もヒマも持て余したオヤジ専門の『たらし』だの『女だったら下は八歳から上は八十歳まで守備範囲と豪語している』などど有ることないこと陰口を叩かれていた。

当の大佐はどこ吹く風で、いつもの、あの、遠くを見るような綺麗な目で涼しい顔して笑っている。
切れ長の一重、ちょっとつり気味な目じりは、煌々と輝く黒い瞳を縁取っている。

美人というには少し語弊があるが、大佐は本当に美人だ。

普通に『美人』と言うと『整った顔』を想像するが、大佐はどちらかと言うと、『バランスの取れた顔立』をしていた。鼻筋と目のバランスがいい。目じりと鼻先を結んだ線が二等辺三角形になる。
ちょっと皮肉ったように左に持ち上がったうすい唇も、大きすぎず小さすぎないサイズ。
不思議なことに、この人の顔が物凄く美しいと感じるのは、彼お気に入りの鋼の錬金術をからかって愉しんでいる時でもなければ、女性を前に気取ってお澄ましている時でもない。怒って敵を見据えているときだ。

大佐は怒った顔がすごくきれいだ。

ハボックはため息を付きながらもう一度心の中で呟く。

大佐は怒った顔が可愛い……。

髪を短く刈り込んで前髪とサイドを少し長めに梳いて揃え、計算しつくしたようにセットしているが、実際は寝癖が付かない髪質なのをいいことに無造作に流しているだけ。
それでもすごくキマっているのが大佐の大佐たるゆえんだろう。

綺麗な大佐、無造作な大佐、案外大雑把で、でも仕事は完璧にこなす。
仕事以外のことは人付き合いを除いて本当にヌケてる大佐。

セントラル駅に現れた、マース・ヒューズ中佐(非番で私服だった)に今日は泊めてくれるか?と訊ねていた大佐。もし刺客が紛れ込んでいたらどうするつもりなんだろう。

今日は、大佐は中佐家族の家に泊まるのか…。

腫れた頬をさすっていると、背後からシャンパンの入ったグラスが出てくる。
見ると、グラスと濡れタオルを手にした大佐が微笑みながら立っていた。
「おかげでうまくいったよ」
微笑む大佐は上機嫌だ。企み終わった後の満足げな顔で言う。
「よかったっすね」
タオルを受け取り、頬に押し付ける。そしてグラスに手を伸ばしながら、訊くまでもないがハボックは念のため訊いてみた。
「ところで……今日の俺の役どころはなんスか?」

今日は、南部に鉄道網をもつ鉄道王の孫娘と同じく東部(地元)の鉄道王の孫息子の縁談をまとめたはずだ。
女のほうは、男にまったく免疫がない。男の方も仕事一筋で女性、未来の自分の花嫁をどう扱ったらいいのか分からない。

最初に男の身内が大佐のところに相談に来た。
普通なら他にまわすところだが、地元の有力者の相談とあって邪険にもできず、おまけにニューオプティンのハクロ准将の推薦状まで持参しており断り切れなかった。

本人同士のお披露目はもう済んでいる。
後は一ヵ月後の園遊会でプロポーズしてOKの返事を貰い発表するだけ。
上流階級の縁組は実に効率が良い。
人間の感情を少し無視しているところが珠に瑕だと大佐は嘯いた。
ともあれ、そいつのためにプロジェクトチームが組まれた。
仕事の合間を見て大佐が女性エスコートのレクチャーをすることになった。

「とにかく慣れること」

経験それに勝るものはない!

大佐の主張のもと、ドレスアップしたホークアイ中尉も巻き込んで、この一ヶ月は、夜はパーティーとダンスの連続だった。

この縁談をまとめれば大佐の株はまた上がる。
ついでにハクロ准将にも恩が売れる。
さらに男の家からお礼がでて協力者にはすばらしい金一封がふるまわれるだろう……。(多分。)
ちょっとした演出を企画して男の株が上がるよう、ついでに自信を持たせてやろうと、大佐は何かを仕組んだ。
大佐がどういう噂を流したのか良くは知らない。
もしかしたらもとからあった噂を利用したのかもしれない。

会場に入ったときからなにやら視線が突き刺さった。

マスタング大佐に命じられるまま、嫌がる(怯えている?)未来の花嫁を誘い、大広間で軽く二曲ばかり踊った。三曲目に差し掛かった時、現れた未来の花婿にいきなり胸倉を捕まれ、反射的に投げ飛ばそうとして、大佐の静止の視線を感じて思い留まり、頬を思い切りよく殴られた。
止めに入った大佐に伴われ、自分は退場。直後追いかけてきた未来の花婿に詫びを入れられ快く許し、自分たちはホントに退場。

この木の下で休んでいるよう言われ今に至る。

「……」
大佐は無言でグラスを渡し、隣に腰を降ろした。
白い木の花を見上げながらふうとため息を付く。
後ろのほうで、聞こえていたワルツの曲が覚えのない静かな曲に変わった。
甘く切ない旋律がバイオリンから流れている。

「花嫁の家には古い言い伝えがあるそうだ」
唐突に語り出す大佐。
「白い花の咲く季節、結婚の決まった娘の下に、審判人が現れる」
「審判人?」
「金色の髪で、青い瞳で、それは凛々しい将校の姿をしているそうだ」
「……」

将校は娘と三曲ダンスを踊る。

将校が娘を気に入れば娘は愛する人の元に嫁に行ける。
だが、将校が気に入らなかったり、娘に愛する人がいなかった場合、三曲踊っている間に魂を吸い取られ、娘は将校の元へ嫁がなければならない。

「だ、そうだ」
「……ああ、そうなんすか……」
だからあんなに怯えていたのか。
金髪で青い目の将校……。大雑把に捉えれば自分の特徴に酷似している。
多分花嫁は花婿のことをまだ愛してはいなかった。
だから『金髪の将校』が自分を連れに来たと怯えた。
確か花嫁は十六歳。
南部の深窓の令嬢で、夢見るお年頃。
軍人なんか制服着てりゃ皆同じ顔にみえるだろうし、男が苦手なら余計に顔なんか見ないだろう。

しかし、今時、鉄道が走るこの世の中にそんな迷信を信じている人種がいる。

「金持ちは信心深いんすね……」

驚きだった。

「……そうだな」
黒い瞳をかすかにしかめ大佐は呟く。
汗を纏ったグラスから、シャンパンをくいっと一口。
「……」
どこか含むものを感じてハボックは大佐を見つめる。視線に気づき大佐はこちらを見た。
「……昔は、本当に人が消えたそうだ。結婚を嫌がった娘が将校とダンスをした数日後に忽然と消える。まるで神隠しだ……。さらわれた形跡もなければ、身代金の要求もない。ただ家の面子をつぶす娘がいなくなる……都合の良い話だと思わないか?」
ふうとため息を吐きながら、大佐はシャンパンを飲み干す。
光を強く反射する大佐の瞳、ハボックは宝石のようだと思った。
「……ま、真実がどうあれ、こちらには関係のない話だ。捜索願いが出されても、誘拐の痕跡がなければただの駆け落ち、家出としか考えようがない。そうそう、あの花嫁だが、自分を守ってくれた男と正式に結婚するそうだ。これもハボック少尉が大人しく殴られてくれたお陰だ……」

喉の奥で笑う大佐。

「これで南と東の鉄道網も安泰だ」
「……」
少しでも雇用が増えて末端まで金が落ちればいいがなと付け加える。

微笑みながらもう一度仰向くロイ・マスタング。
今日は礼服の正装で、髪も前髪を上げていて、いつもと違う雰囲気だ。
白い木の花がよく生える黒い髪、黒い瞳は相変わらず。

「今日は突然すまなかった。ご苦労だった」

今日はヒューズのところに泊まる。宿舎へは明日帰るから、車を使って帰ってくれてかまわない。

言い捨て去ろうとするロイの腕を、ハボックは掴んだ。


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