◎ あなたをつつむ…… ◎
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「元気がないな」 大佐がそういうから、つい、ハボックは大げさにため息をついてみせた。 「そのため息は……また、か?」 「またって言わないで下さいっ」 「また、振られたのか?」 「分かれたんですよ……『仕事と私とどっちが大事』なんてうるさいから」 本当はそんなことじゃなかった。 でも、こういう方が食いつきがいいから、ついついウソを吐いてしまった。 「ほーう」 探るような目を向けてくる大佐に表情からそれを悟られないようがっくりと肩を落としついでに机に伏してみた。 「だらしのない奴だな」 大佐はやれやれと言うようにため息を付きトントンと机を指で叩く。 「男だったら仕事も恋も両立してみせたまえ」 聞こえ慣れたセリフが降ってくるのを待って顔を上げると、そう言いつつも何か思案顔の大佐がいた。 顎に指を当て左斜め上を見上げている。『うーん』という呟きまで聞こえてきそうだ。 つやつやの黒い目。 このところの残業続きで無精ひげの目立つ顎、疲労の残る青白い肌。 かすかに開いた薄い唇の向こうでゆっくり動く滑らかな舌。 唇の向こうで右から左に動く舌がなまめかしい。 黒い瞳がするりと動いて自分を捉える。 どきりとした。 舌に見とれていたことを咎められた気がして、ごまかすように笑って『コーヒーでも淹れましょうか』と立ち上がる。 都合のいいことに他のみんなは出払っている。片時も大佐の傍を離れないあのホークアイ中尉もいない。 こういうときはアレを出すしかないだろう。 備品ではなく自分の机の引き出しからグラム800センズの最高級ブレンドを取りだす。 アルコールランプと水とポットを出して準備を始めると、大佐は興味深そうにこちらの手元を眺める。 豆をひいてフィルターを折ってセットして……。 ガンガンに沸いた熱湯を注ぐ。 ぴたぴたと黒い雫が落ちるのを、やっぱり大佐は黙ってみている。 女たらし、オヤジたらしと評判高い大佐。 有力者の夫人や娘と観劇だガーデンパーティだと派手に出歩く。 そんな行動を評して『たらし』といわれている。 上は八十才の退役軍人会幹部未亡人から、下は鉄道王の八歳の孫娘まで……大佐のファンは数知れない。 尻軽だのじゃじゃうまだのとあだ名をつけて侮る同僚、上官を手玉に取り、自分の後ろ盾にと利用する大佐。切れ長で艶々の目を細め大佐は標的を見据えると、ふうっと唇を持ち上げ笑う。 まつげを伏せたのその様が例えようもなく色っぽくて、その気のない奴でもドキドキする。 したたかな人。強いと思っていたら、自分はこの人の弱味を見つけてしまった。 正確にはこの大佐が、おそらく無防備となれる場所。 第九倉庫に隠し部屋を見つけた。 大佐がそこでらしくなく物に当たり、床に突っ伏し、激しく癇癪を起こすのを見てしまった。 驚いた。 声なくわめいて、泣き喚くロイ・マスタング大佐。 いつも堂々としていた。颯爽と歩いていた。 上官の理不尽な諸行にもびくともしない。嫣然と、ほんとうに嫣然と微笑んでいた。 唯一この人が人間なんだと思えるのは書類に埋まって眠っているときだけで……。 そんな彼も人間だった。一人では何も出来ない誰かの支えを欲する……か弱い人間。 最初に会って、彼の下で働かないかと誘われたときに言われた『人は一人では生きられない。だから君たちの助けがいる……』のセリフがにわかに信憑性を帯びて見えた。 「旨い」 コーヒーを淹れるのがうまいんだなと大佐は微笑む。 病的な白い顔にほんのり赤味が戻り、湯気のせいか潤んで見える瞳がとても印象的だ。 あの時も癇癪が治まった大佐にコーヒーを差し出した。 彼は無表情でコーヒーを啜りながら、できればこのことは秘密にしておいて欲しいといってきた……。 自分と大佐しか知らないヒミツ。 一番の副官ホークアイ中尉もこのことは知らない。 大佐が行方不明だと彼女が言うと、自分はヒミツの部屋に行った。 コーヒーを用意して。 ほとんど大佐はいた。自分がつくと大抵彼の癇癪は治まっていて、ぼんやりと壁に寄りかかる大佐にコーヒーを差し出した。 無言でコーヒーを飲む大佐をただ黙ってみている瞬間がとても好きになっていた。 二人だけの秘密。 大佐、ロイと自分の……たった二人だけのヒミツだと、思っていた。 あるとき部屋を訪ねたらそこにはヒューズ中佐がいた。 「運んでやろうか?」 「いい……一人で歩ける」 大佐は中佐の首に手を回し、ネコがするように頬を摺り寄せた。 中佐は手馴れた様子でよしよしと大佐の背中を叩き次いでぎゅうと抱きしめた。 制服で抱きあう男二人。 大佐は弱った子猫のように、中佐の腕の中で体の力を抜きなすがままだった。 中佐はゆっくりイスを引き寄せ大佐を座らせるとコーヒーを差し出した……。 「『霧の森』お前の好きな銘柄だな……」 「ああ……」 呟く大佐の手をとってコーヒーを飲むのを手伝う中佐。 「今どんな調子だ?」 「少し動揺している……」 「そうか、動揺してるのか、どこか痛むか?」 「胸が、苦しい」 「ここか?」 中佐は服の上から大佐の左胸をさする。 「もう少し右」 「ここか?」 「……」 胸をさすられ大佐は仰向きながらため息を付く。 中佐に体を預ける大佐は、力みのない表情でただゆっくりと呼吸をしている。 普通に見たら、相当に引く光景だったはずだ。でも少しも気持悪いとは追わなかった。 癒しを求めるものと与えるもの。 そこで繰り広げられていたものには、宗教的な神々しさが漂っていた。 その場の雰囲気を壊していけない気がして、そっと立ち去った。 俺とロイ、いや大佐の二人だけの秘密なんで幻想だった。 自分の時にはあんな表情を見せてくれたことはなかった大佐が中佐にはあんなに無防備……。 中佐と大佐の間には、二人だけのヒミツがあるような気がした。 悔しかった。 二人は士官学校時代先輩と後輩だったそうだ。 年は同じでも大佐は中佐の後輩……。戦争が二人の階級を分けて現在は立場が逆転している……。 在籍中にそういう関係になっていたとしてもおかしくはない。でも、今中佐には愛する妻と娘がいる。 じゃあ、大佐は中佐の愛人なのか……?、だったのか、または縒りが戻ったか…… 「仕方ないな、中佐の奥方に頼んで彼女の友達を紹介してもらおう」 「え?」 『中佐』単語で我に返った。 「ヒューズ中佐の奥方ならきっとすばらしい女性を紹介してくれるだろう。料理上手で……美しい」 「いやです」 「……ん?」 大佐は目を丸くしてこちらを見た。 「……大佐、あの、俺、この前中佐と大佐を……あの部屋で見ました」 「……そうか?」 こともなげに言い放ち笑みすら浮かべる大佐。 平気なのか? アンタのヒミツを知ったと言っているのに、この余裕の表情……。 「中佐には奥さんとお嬢さんがいらっしゃるじゃないですか……」 愛人、とういう言葉を飲み込んで言葉を続けた。 「俺にしませんか?」 「……」 「大佐からご覧になったら、俺なんかまだまだかもしれませんが」 「……それは、私の恋人になりたいということか?それとも言うことをきかないと何かするぞと言っているのか?」 「………茶化さないで下さい」 わざとこういう言い方をしている。それが分かっていても少し胸が痛む。 「俺、俺は本気なんです」 中佐よりも、他に愛するものを持っている中佐なんかよりも、ずっと大佐のことが好きだ……。 「アナタのことが」 「ジャン・ハボック少尉……」 空になったカップを置いて大佐はふうとため息を付く。 「本気は困るんだ」 「……は?」 「遊びならいい。私も君を嫌いじゃない。だが本気の恋愛は困るんだ」 「……出世のため……ですか?」 「……それは想像に任せる」 そう付け加え大佐は立ち上がる。 そしてもう一度本気は困ると繰り返す。 「休暇をやろう……」 「……」 「正直この時期抜けられるのは辛いが……働きすぎでくたびれているからそういう発想が湧くんだろう?」 一週間休暇をやると大佐は言い背中を向ける。 「その間に好みの女性を手に入れろ……」 「俺は大佐がいいんです」 「遊びで一二度寝るくらいならかまわない。後腐れなくその後今までどおりの関係に戻れるなら……」 肩越しにこちらを見やる大佐の目は『お前にはそれが出来ないだろう』と語っていた。 「……そういうのじゃないんです、寝るとか、遊びとかじゃないんです」 俺が求めてるのは……。 後腐れなく終われる関係じゃなくて、もっと。 中佐の顔が浮かんだ。 中佐と、力の抜けた大佐の安らいだ顔……。 陽だまりのような暖かいもの。 それをアナタにもたらすのが、俺だったらと思ったんだ……。 「後腐れのない遊びが出来ないなら……そういうのはお断りする」 「……」 悪いが二度とこの件を口にしないでくれという大佐に、かける言葉が浮かばなかった。 (終) |
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