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鋼TOPへ

〜○―○〜

いっぱいいっぱいの状態になると、ヒトはそいつの「普通」とは違う、あきらかにおかしな行動をとる。
ボーインボーショクしてみたり、
物言わぬ植物をむしってみたり、
自分や他人の心や肉体を故意か無意のうちにキズ付ける。
普段泣かない奴が物陰でうずくまって静かに泣いている、なんてのも一つのサイン。

マース・ヒューズは査察のため、セントラルから東方司令部に来ていた。

食料倉庫に使われている第九倉庫。
そこにある隠し部屋の存在はあの男曰く四人だけだという。
その部屋の製作者と、現在の利用者・ロイ・マスタング、そしてヒューズと、たまたま見つけてしまった男の計四人……。

数時間前、大佐がいなくなったと、ロイの優秀なスタッフたちが彼を探し回っていた。

『中佐、大佐の居場所、ご存知ですか?』
とジャン・ハボック少尉が探るようなまなざしを向けてきたから……多分ここだろうとあたりをつけて、ヒューズは倉庫へやってきた。

隠し部屋へ続く階段を下りながら、つくづく若くして地位が上がるというのはやっぱり大変なことだなと思った。

ロイ・マスタング大佐は大きな野望を持っている。
それを今話すのは、彼のプランに差しさわりがあるので、いずれ本人の口から語らせよう。

ヒューズはロイの昔を振り返ながら、でも、こういうのは奴らしいなと思っていた。

昔の奴、ロイは陰謀とか戦略とか、そんなこととは無縁な単純明快な性格だった。
単純明快にヒト恐怖症で、少し屈折していて、でも放っておけない、父性愛を感じる奴だった。
お前と付き合ってから人間は怖くないと分かったとロイは一度だけ口にした。
他人と自分、自分自身の折り合いのつけ方が分かるようになった。
余計なことを考えずまっすぐ「あそこ」へ向えるようになったと、パブのカウンターでロイは微笑みながら、小さく感謝していると呟いた。
おまえは敵に回したくない。ずっと味方でいて欲しい。
イヤに素直に言われたので一瞬、何か裏があるのかと思いかけ、ああ、自分はコイツに素直に胸のうちを明かされるようになったんだと、気が付いた。
ヒト恐怖症で、屈折しているくせに素直で、努力という地道な作業を苦にせずできるロイ。
鋼の錬金術師を見ているとロイを思い出す。
最も鋼の錬金術師エドワード・エルリックはロイほど屈折していない。
エドは素直に泣きわめき叫ぶ。大人ぶっているが実はまだまだ内面は割り切れない思いを抱いた弱点だらけの少年。
その弱点がとてもいとおしいと思う。
そのいとおしいという気持がロイとエドを同類に思わせる。
鋼と違いおよそヒトに囲まれることを避ける傾向にあったロイは、長い時間をかけて少しずつ必要なものを身につけていった。
人材を集め、
情報を集め、
目的を果たすために変わっていったロイ。
必要ならその身を投げ出すこともいとわないロイ。
加減を知らないんじゃないかと時々不安になるロイ。

大きな野望をかなえるためにロイはいろんな努力をしている。

その過程で多少の葛藤が起きる。
葛藤を上手く処理できなくなると、ロイはここに閉じこもる。

壁の一角を押してヒューズはその部屋の扉をあける。
白い漆喰の壁と、青空の広がる窓が視界に飛び込んできた。

そして、案の定、ロイはやっぱりここにいた。
ヒューズが久しぶりにその部屋を訪れたとき、ロイは部屋の隅に置かれた机に向かい壁を向いて泣いていた。

うつむき、握り締めた両手をひざに置き涙を流していた。
人前では涙を見せること、隙を見せることのほとんどない男が無防備になっている。
ヒューズは黙って入口側、ロイは逆の壁際に移動し壁に背中を預けた。
ロイは顔も上げず、ただ一度うっすら目を開けただけで机に伏せた。
ヒューズは懐からシナモンスティックをとりだし口にくわえた。
この部屋は禁煙。だからヒューズはタバコの代わりにそれをくわえた。
窓のないへや。でもロイの右手の壁、さっきヒューズが入ってすぐ見た入口対面の壁にはニセ窓が作られている。
紫のラベンダー畑が青い空の下どこまでも続く牧歌的な風景、写実的に描かれた絵画が掛けられていて一見すると本当に田舎町の様相だ。
シナモンスティックを唇から離しヒューズは長く細く息を吐き出す。
ロイはまだ泣いている。
まだ今の段階では放っておいたほうが良いのでヒューズは静かに室内を見渡す。
有事の際の要人をかくまうための部屋だったというここは、ニセ窓と丸いす二つと書き物のできる小さな机とシングルのベッドが入って一杯だった。
ロイは自分ひとりで壁の漆喰を塗り、ベッドを除き、窓とイスと机のある白一色の部屋にした。
しかし今、窓とイスと机しかないはすの部屋に今はサイドボードが運び込まれている。
それはひざより下の高さで二色の色見の違う緑色と白で格子に織られたテーブルクロスだった。
メロンに似てる柄だと思いながらヒューズはクロスのうえに置かれた丸い銀盆、白い布巾のをつまんだ。
コーヒーだった。
カップは二つ。
まだ温いから置かれてからそう時間は経っていない。

泣きつかれたロイのために用意された……そんな様子が見て取れた。

この部屋を偶然見つけた男が、泣いているロイを気遣って差し入れ本人は消えた……。
そんなところだろうか……。

ヒューズは布巾を捲ってコーヒーを一つカップへ注ぐ。
鼻を近づけるとコーヒーからはロイの好きな銘柄の匂いがした。
それを失敬しながら気配を感じて顔を上げるといつのまにかロイが目の前に立っていた。
「……」
無言でロイは涙に濡れた目でヒューズの手元、カップを見ている。
伏せられた視線、まつげの長いまぶた。
本人は知らないだろうが目を伏せるとロイはとんでもない色香を放つ。
ロイはゆっくり大きく深呼吸をしている。
ヒューズは左手を、いつもするようにロイの背中に回し、握ったこぶしで軽くとんとんと叩いてやる。おとなしく頭をこちらの体に預けるロイ。
目を閉じロイはヒューズの娘がするようにゆっくりと頬を摺り寄せる。
頬擦りして欲しいんだなと、思った。
子供が親にぎゅっと抱きついて不安を解こうとするように、ロイも甘えてくる。

何があったとは聞かない。

話したくなければ話さなくていいと最初のとき約束した。
お前が話したいときは黙って聞くからと。
唯一つ、ウソは付かないこと。
それを条件にヒューズはロイの甘えの要求を受け入れる。

こんな友人関係があってもいいと自分は思っている。

自分には守りたいヒトがいる。
一生を一緒に歩んでくれる妻。
そう遠くない未来に世の中という大きな舞台に出て生きることになる大切な娘。
その娘が大人になる頃には今より少しでも済みやすい世界になっていて欲しい。

ロイの野望はヒューズの希望に寸分違わずヒットした。

彼の野望の成就は、自分の好きな人たちを幸せにする。

妻と、娘と、そしてロイ自身。

ロイが先へ進みたいと願うから、自分は力を貸すと決めた。

ロイの野望の成就が自分の好きな人たちを幸せにしてくれると気づいたから。

彼が望むなら後押しをしたい。

ロイの幸せが野望成就の先に、そこに自分自身の幸せもあるのだから……。

ロイのしあわせが俺の幸せ……。
なんだか可笑しくなってヒューズは自分に体を押し付けてくるロイを、片手で抱きしめた。

ちりりと空気が乾くにおいがした。
ヒューズはふと我に返る。自分の持ったカップにロイが指を当てていた。
「……た」
ぼそり、ロイが呟いた。
「ん?」
「喉が渇いた。熱いコーヒーが飲みたい」
「ああ」
「熱いコーヒーを飲んでいすに座りたい」
「運んでやろうか?」
「いい……一人で歩ける」
ヒューズは己の手の中、ロイの錬金術で温まった湯気の出るカップを差し出す。
ロイはだまって受け取り熱いコーヒーを飲み干した。


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