◎ 赤い彼岸花 ◎
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「こんな話をして、らしくないと思われるかもしれないが……」
セブルス・スネイプ先生は言った。

彼に、話があるからと連れてこられた山小屋は、周りを湿地に囲まれていた。
魔法植物の採集には困らなさそうだが、日常生活を送るには少し支障がありそうだ……。
空気は湿り気を帯び、ものの表面にカビをまとわり付かせそうな不快な感じがする……。
まあ、客として招待された手前、そんなことはおくびにも出さない。
なかなかムーディーなところだねというと彼は笑っていった。
「はっきりいったらどうだ?」
陰気くさいと。
風呂を使った(驚くべきことに、古い机と年季の入った暖炉と数冊の本と岩壁とベッドが一組あるだけのこの簡素な部屋には石焼の風呂がある……。)直後で髪には例の油が付いていない。一重の黒のローブを纏っている。
スネイプ先生は、香油を付けすぎのべたべたな黒い髪が不評。生徒からは陰気くさい教師と言われている。
スネイプはずっと喪に服している。黒髪を油で塗りこめるのは、彼の家の古い習慣。
久しぶりに見るさらさらの髪のスネイプは学生時代の面影があった。
麗人とたたえられ、親衛隊にかこまれていた頃……。『先生』には、そんな面影を見つけることは出来ない。
本人が注意深く己の美貌を隠しているからだ……。
「晩餐はローストビーフでいいな?」
いいつつ彼はワインをそそぎ、暖炉で丹念にローストしたビーフを切り分けてくれる。
付け合せのジャガイモは栗の風味。クレソンの利いたグリーンサラダが絶品だった。
食後ワインを飲みながら、スネイプは言った。

「こんなことを言うとばかげたことだといわれるかもしれないが」
セブルス・スネイプ先生は言った。

あの世とこの世の境界は普段は閉じていて見えない。
でも、ふとしたきっかけで扉が開き、そこへゆくことができるという。
曼珠沙華の花を摘もう。
葉を持たないその花色は、赤い、赤い、くれない色。
東洋では死者の手向けに送られるというその花は翻った花弁が王冠のようにみえる。
ジェームズが死んだとき、スネイプはそこへ行ったという。
彼の努力むなしく、大切な人が死に、スネイプは無力感に打ちひしがれていた。
ジェームズのことじゃない。
そのときジェームズとスネイプは、それぞれ敵対する勢力についていて、殺し合いの最中だった。
それは二人が望んだことであり、そうではないこと。
スネイプは愛する家族を救うため自ら望んで闇に身を晒した。
その前の週、スネイプの家族が死んだ。もう、スネイプが闇に身を晒す理由もなくなり、かといっていまさらジェームズたちの側へ行くこともかなわず……。
スネイプは考えていた。悲しみにくれつつも。
そして、届いたジェームズ・ポッターの訃報に、彼の忍耐は切れた。
泣いて、泣いて、泣いて、涙がかれるまで泣いて、涙に腫れる目と、ぼんやりとする頭でふと窓の外を見たとき、スネイプは心臓が止まるかと思った。
ジェームズ・ポッターが立っていた。
月明かりの元、両手に一杯の曼珠沙華の花束を抱え。
窓の外は湿地で、背丈の短い草が生えている風景が広がっているはずだった。だが、そこはいつの間にか、曼珠沙華の花が咲き乱れる野原になっていた。
果てしなひろがる緑の大地。一面に見える赤い花の群れ……。
花の中に立たずも男は、ごめんねと唇を動かした。

壊れた眼鏡をつけたままにっこり微笑む。そして彼は、優雅な足取りでスネイプに近づき、その花束を差し出してきた。
曼珠沙華の花。花びらには毒が含まれている。
不吉とされる曼珠沙華の花束、スネイプは躊躇なくそれを受け取った。
花びらを吸って……。そう考えたとき、ふわっと赤い花たちが形を淡くした。

「そのとき思った。ジェームズ・ポッターは死んだんだと」

赤い色。曼珠沙華の花、多分それは、ジェームズ・ポッターの残りの命だったんだろうと、思った。
死者への手向けの色。赤。でも赤は血の色、命の色でもある。

「奴の遺志をついで生き様などとは思わなかった。私は私のことで精一杯で、やつの残りの人生を受け止めてやれるほど大きな懐はない……。ただ……」
ただ野原に下りていって、摘むそばから白く色を変える花を、白い曼珠沙華の花を束にして奴に渡した。

「お前が何を言いたくて私の元にきてくれたのかは分からない……でも会えて嬉しい……ジェームズ」
「……」
「お前の遺志を次ぐことは私には出来ない……私には家族を死に追いやったものへの復讐のほかに、お前を殺した奴への復讐もしなければならない……私は、私の意志で、お前の息子の行く末を見守る……やりたいことがあるんだから……」
「……きみらしいね。心配しなくても大丈夫だったね……?」
ジェームズは君らしいといいながら白い花をいとおしそうに抱きしめる。

「そこで我にかえった」
手には、摘んだばかりの赤い曼珠沙華の花が一輪。
あれが一体何なのか、今でも分からない。
「でも、あの出来事があったから私は今生きていられると思う。悲しみからは逃げることは出来ない、でも、悲しみはいつかはそっと寄り添うものに変わる……」
忘れない。あの男が生きていたこと。
忘れない。あの男が死んでしまったこと。
後悔も、焦燥も、全てがアイツを示すものだから……。
「だからお前も、……奴が目の前に立ったら、躊躇するな……」
躊躇せずに別れを……。生きて、やがて召されるその日まで胸を張って生きるために……。
「……彼は……死んではいないよ……あのときはああいったけど……」
「そうか?それならそれでもいい……ただ、わたしはお前の気持ちは分かる……身を裂かれそうなほどの渇きを……」
「……」
「お前は私の知る限りでは一度も泣いていない。取り乱しもしていない……。それがとても心配だ」
「……大人になると、悲しみの表し方はちがってくるものですよ?スネイプ先生?」
「いっそ子供に戻るか?子供に戻って、泣き叫ぶか?」
「ああ、いいね、できたら……そうしたい気分だ。でも泣き叫んでもなにも変わらないってことは……もう知っているから……」
もう一杯ワインをついでスネイプ先生は口の端を引き上げ笑う。
「私でよかったら胸をかすぞ?あのときのお返しに」
「ありがとう……気持ちだけ受け取っておきます」

ベッドを貸してやるからといわれ、今日はここに泊まることになった。
家主は明日は補習があるからとホグワーツにもどった。

一人でいると、森の静けさが身に染みる。

枕を抱えて、ぼんやりするが、あの日から眠れたという感覚がない。

枕に顔を押し付けて彼の名前を呼ぶ。
この声が聞こえたら、戻ってきてくれ……。

でも、彼の性格からすると、曼珠沙華の野原になんか下りてこないだろう。
彼には白い花が似合う。
手向けるなら白い、そう、蘭の花がいい……。
百合のように香りの高い花も似合うでも、彼には蘭の花がいい。
墓に蘭と百合を手向けて、そして人の気配に振りかえったら本人が立っていて、『縁起でもない!』と怒るかもしれない。
ああ、そうなったらどんないにいいだろう。
何故、彼ばかりが……。
枕に顔を押し付ける。
ふと、こみ上げてくるものがある。目を伝うものがわかる。
泣き叫んでもなにも変わらないってことは……もう知っている……。でも、こんな夜は。
こんな静かな夜は彼を思って泣きたい。
帰ってきてくれ……。



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